「オリンパス」会計不祥事―飛ばし、解任劇から学ぶガバナンスの本質

こんにちは、Yatzです!

今回は2011年に発覚したオリンパスの有名な不正会計のお話となります。

2011年、世界的医療機器メーカー・オリンパスで、かつてないスキャンダルが発覚しました。直接のきっかけは、英国出身のマイケル・ウッドフォード社長の解任。しかし、その背後には20年以上にわたって蓄積された損失を隠す「飛ばし」スキームという、日本企業の闇がありました。

「企業の継続のため」「従業員を守るため」――。そうした“正当化”を旗印に、歴代の経営陣は損失隠しを続けました。しかし、それは本当に“会社のため”だったのでしょうか?

名古屋商科大学(NUCB)のMBAカリキュラムの企業統治と企業倫理『Corporate Governance and Business Ethics』 のDAY3で扱ったケースをもとに作成しております。

目次

オリンパス会計不祥事の要約

1980年代、主力のカメラ事業が低迷し始めたオリンパス。下山社長(当時)は財テク(金融資産運用)に活路を求め、債券やデリバティブにまで手を広げました。しかしバブル崩壊後、多額の含み損が発生。1998年には950億円に達し、自己資本の半分を超える水準に。本来であれば、この損失は公表し、処理すべきでした。ところが当時の経営陣は「資金繰りの懸念が露呈すれば信用不安の拡大から会社が潰れる」との懸念から、「飛ばし」によって損失を財務諸表から“切り離す”手法をとったのです。

具体的には、1997年以降、金融商品の会計基準が「取得原価主義」から「時価評価」へと変更される見込みが出てくると、含み損を計上する必要性が生じます。これを回避するため、社内の財務担当者らは損失を表面化させずに財務諸表から外す「損失分離スキーム(これが飛ばし)」を実行しました。
このスキームは、連結対象外のファンドを用いて含み損を移転し、財務諸表から切り離すもので、取引先の外資系証券会社などを通じて巧妙に隠蔽されていました。オリンパスは「社債償還の財務制限条項への抵触回避」や「損失を公表することによる株価暴落の懸念」などを理由に、損失を計上するタイミングを逸し続けたというものです。

「なんとかなるだろう」「今は公表すべきでない」と損失を“先送り”したその判断は、企業倫理と透明性を大きく裏切るものでした。

オリンパスについて

オリンパス株式会社は、1919年に創業された日本を代表する精密機器メーカーです。
一般の方にとっては、「PEN(ペン)」シリーズに代表されるカメラブランドとしての印象が強いかもしれません。かつてはフィルムカメラから一眼レフ、ミラーレスまで幅広いラインアップを展開し、オリンパスのPENは小型でスタイリッシュなカメラとして根強いファンを持っていました。

† 出典元:内視鏡‐オリンパスホームページ

また、医療機器、特に内視鏡分野において圧倒的な技術力があり、1950年に世界初の「胃カメラ」を開発して以降、医療用内視鏡では世界シェア70%以上を誇り、現在でも売上・利益の大半をこの分野が支えています。

内視鏡とカメラという、もとはといえば「レンズと光学」に関する技術がルーツで、高い技術力に裏打ちされた精密さと小型化ノウハウで、オリンパスは“見えないものを見る”という使命を貫いてきました。

一眼レフ、内視鏡と、“覗き込む技術”の最前線をリードしてきたのがオリンパスです。

オリンパスホームページはこちら

不正会計が表に出ることになったウッドフォード解任の裏側

和を乱す存在

2011年、社長に就任した英国人マイケル・ウッドフォードは、すぐに不審なM&Aや巨額のコンサル報酬に疑念を抱きました。彼は内部調査を求めましたが、これが火種に。

社外取締役も含めた取締役会は、わずか2週間でウッドフォードを解任します。
理由は「経営スタイルの違い」とされましたが、実際は“会社の恥部に切り込もうとした異物”を排除したに過ぎません。

なぜ、社外取締役までが賛同したのか?

前社長であり当時会長だった菊川剛が実権を持っていたため、社外取締役を含めた他の役員は従うしかないわけです。
そして、日本的な和を乱すものが暗黙的に排除されることになります。

Yatz

形式的なガバナンス制度は整っていても、実質的には機能していなかったのがよく分かりますね。

そもそも何でウッドフォードを社長にしたの?

一番の理由はガバナンス強化のアピールの”象徴”としての抜擢でした。
2010年〜2011年当時、オリンパスは国際的な企業としてガバナンス強化のプレッシャーを受けていたこともあり、グローバル経営を演出するために抜擢したとされています。

とはいえ、何故ウッドフォードなのか?というと、「完全な外部人材」ではなく、オリンパスの欧州子会社で長年勤務していた“社内出身者”でした。

菊川剛会長ら旧経営陣は、ウッドフォードを「日本語が読めず、本社の内部事情に疎いから、自分たちの言いなりになると考えていた」という証言があることから、自分が会長になっていれば上手くコントロールできると思ったのでしょうね。

菊川氏の読み違い:「外国人社長=お飾り」と思ったら、本気で改革をし始めたということですね。

時系列でみていく

あらためて時系列で不正会計の流れを見ていきます。ポイントは3代にわたる社長の関与となります。

社長名出来事・概要
1984年1月下山敏郎社長就任。生産合理化と財テクによる営業外利益を重視。財務運用の方針転換を常務会で決定。
1985年頃下山敏郎安全資産に加え、債券・株式先物・スワップなどリスク資産への運用を拡大。
1989年末下山敏郎バブル崩壊。含み損拡大が始まる。
1993年6月岸本正壽社長就任。含み損の処理提案を受けるが「市場回復待ち」を選択。
1997年頃岸本正壽金融商品の時価評価会計への移行が進み、損失隠蔽が困難に。
1998年岸本正壽損失分離スキーム(飛ばし)を実行。CFC、QPなどの受け皿ファンド設立。
2000年3月岸本正壽GCNVV(損失解消用国内ファンド)設立。
2001年6月菊川剛社長就任。映像事業を強化し売上1兆円を目標とする中期経営計画を策定。
2001年12月菊川剛ITX上場。値上がり益による損失回収スキームは失敗。
2003〜2005年菊川剛国内3社(アルティス、ヒューマラボ、NEWS CHEF)を発掘し、損失解消スキームに活用。
2007年9月菊川剛会計基準変更に対応し、GCNVVを解約。国内3社を簿価でオリンパスに計上。
2008年3月菊川剛国内3社を連結子会社化。「のれん」600億円を計上し、損失を償却処理へ。
2008年11月菊川剛ジャイラス買収に絡みFA報酬として6.2億ドル支払うことで損失還流を図る。
2011年4月マイケル・ウッドフォード社長就任(同年6月CEO就任)。財務不正を内部告発。
2011年10月14日マイケル・ウッドフォード(解任)就任わずか2週間で解任され、不祥事が表面化。
2011年12月6日笹 宏行:社長代行→12月代表取締役)第三者委員会が最終報告書を公表。不正の全貌が明らかに。

関与した、下山‐岸本‐菊川は実は派閥・部門の系譜が一致しており、そこには、「閉鎖的な社内ネットワーク」「恩義」の関係性が指摘されています。

当時のオリンパスは「石橋を叩いても渡らない」と言われる慎重な文化で、昇進も身内から身内へ。問題を感じていても引き上げてくれた先代に泥を塗るわけにはいかないといった文化もレビューされていますね。

不祥事を共有・引継ぎし同じ不正に手を染めたことに加え、可愛がられ昇進を引っ張り上げた関係性は恩義という言葉もあわせて相当強固だったことが示唆されています。

さいごに 私利私欲というより会社のためにだったけど

―「会社のために」が、誰のためだったのか

オリンパスの会計不祥事は、一部の経営陣による長期にわたる損失隠しという、重大な裏切り行為でした。
しかし、この事件を単なる“悪人による不正”としては考えられないと思いました。

当時の経営陣――下山、岸本、菊川――はいずれも、少なくとも“会社のため”という意識を持って行動していたことは確かです。私利私欲がなかったとは言いません。しかし、企業が潰れれば、従業員やその家族、多くの取引先や関係者に多大な影響が出る。
だからこそ、損失を表に出せなかった。だから「飛ばし」という禁じ手に手を出してしまった。

善意が、結果としてすべてのステークホルダー――投資家、従業員、取引先、消費者――を裏切る結果になったというお話として認識しています。

この事件が問いかける本質はここにあります。

「会社は誰のものか?」

経営者のため?従業員のため?
もちろん違います。企業は、社会の中で信頼のもとに存在する“公器”であり、その存在はステークホルダーとの信頼によって支えられているのです。

その信頼を守るために機能するはずだったガバナンスも、形だけでは意味がありません。
取締役会も、監査法人も、社外取締役も揃っていました。
それでも止められなかったのは――

社長が倫理観を欠いていたからです。

どれほど制度を整えても、最終的には“人”で決まります。
経営トップに倫理観がなければ、どんなガバナンスも空虚な形式にすぎません。

企業統治とは、「社長にモノが言える仕組み」と「社長が正しくあるための覚悟」の両輪です。
形式的な制度設計だけでなく、“信頼を守るために、何が正しいかを考え続ける人間”を育てること。
そのことが、私たちに問われていると強く考えさせられたケースでした。

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この記事を書いた人

いち40代サラリーマンの「もがき」、ここにあります。
上からは無茶ぶり、下からはZ世代の鋭いツッコミ──そんな板挟みの日々を送る、しがない中間管理職です。
「50代こそ、きっと人生の黄金期になる」と信じて、今日もなんとか踏ん張っています。

これまで、新規事業の立ち上げから、事業計画の策定、M&AやPMIまで、実務を通じて経験してきました(いずれも3〜7年ほど)。

実務の現場で感じたこと、学んだこと、そしてちょっとした愚痴まで、共感いただけるあなたに届けたいと思っています。

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