こんにちは、Yatzです!
スイスに本社を置くバイオテクノロジー企業アクテリオンは、1997年にわずか数名の研究者仲間によって設立されました。わずか4年で画期的な新薬「トラクリア」を上市し、その後も成長を続け、2010年にはヨーロッパ最大級のバイオテク企業へと躍進します。しかし、その急成長の裏では「創業時の企業家精神をどう維持するか」「科学者の自由をどこまで守るか」といった課題が常に付きまといました。
アクテリオンの事例を通じて、企業文化の原点とその持続性、成長過程で直面した組織的課題、そして社外ステークホルダーとの関係性について整理してみたいと思います。
トラクリアの成功と特許切れリスクに揺れるアクテリオン
アクテリオンは1997年にスイス・バーゼル近郊で設立されたバイオテクノロジー企業です。創業メンバーはロシュ出身の科学者4人で、「未治療の患者のために新薬をつくる」という使命を掲げました。設立からわずか4年後の2001年、肺動脈性肺高血圧症(PAH)の治療薬トラクリアをFDAが承認。年間治療費2万8,500ドルという高額ながら、2010年までに世界8万人が使用するヒット薬となりました。2009年の収益は17億7,000万スイスフラン、自己資本利益率22.1%と業界平均を大きく上回り、2010年には約2,430人の従業員を抱える規模へと成長しました。
しかし2010年は試練の年でした。トラクリアの特許は米国で2015年、欧州で2016年に切れる予定で、収益源の空白が避けられない状況。パイプラインの一部では失敗もあり、特発性肺線維症やクモ膜下出血向け治験は相次いで中止。大きな期待を背負った不眠症治療薬アルモレキサントにも安全性懸念が浮上しました。株主は短期的な成果を求め、メディアではグラクソ・スミスクラインやアムジェンによる買収の噂が絶えませんでした。
こうした環境下で、CEOクローゼルが直面した最大の問いは「創業時の企業家精神と自由な研究文化をいかに維持するか」でした。同社は研究者の自由を重んじ、報告やマイルストーン管理を極力排除。オープンな職場環境や廊下での偶発的な議論を奨励し、いわば「グーグル型」に近い文化を形成しました。一方、組織拡大はフラットな関係を次第に希薄化させ、「自由」と「官僚制」のはざまに立たされました。社員たちは自らの研究が未来を変えると信じつつも、企業規模の拡大によってイノベーションが失われるのではという不安を抱え、CEOの言葉に耳を傾けていたのです。
アクテリオンの企業文化の原点
創業時に息づいていた企業家的精神
アクテリオンは1997年、ロシュ出身の科学者4名とCFOによって創業されました。彼らは「未治療の患者に新しい薬を届ける」という使命を掲げ、製品も投資家もない状況から独立を選びました。ロシュから化合物をアウトライセンスし、1998年には5,600万スイスフランのベンチャー資金を確保。そして2001年、肺動脈性肺高血圧症の治療薬「トラクリア」を上市し、創業4年での成功を実現しました。このスピード感と挑戦心は、まさに企業家的精神の結晶でした。
アウトライセンス:
自社が持っている技術・特許・化合物の権利を、他社に対して 「ライセンス供与」すること を指します。ここでは、ロシュでは優先度が低いと判断した化合物をアクテリオンが引き受けて開発を進めたという形です。

やはり勇気ある決断とスピード感が企業文化の核をつくるんですね。
科学者の自由を支える環境づくり
アクテリオンは設立当初から「科学者の自由」を尊重しました。オープンなオフィス、廊下での偶発的な議論、週数回のランチトークなど、研究者が自然に交流できる環境を用意しました。また、プロジェクトの継続判断は研究者自身に委ね、マイルストーンや形式的な報告に縛られることを避けました。この文化が、創造性を高め、革新的な薬の誕生を後押ししていたのです。



廊下で雑談してたら新しい発想が生まれるって、なんか大学の研究室っぽくて楽しそうですね!
成長とともに直面する組織的課題
自由度と官僚制のはざまで
2000年代後半には従業員数が2,400人を超え、複雑化する組織をどうマネジメントするかが課題になりました。CEOクローゼルは「決定は専門家に任せるべき」と繰り返しましたが、現場では「官僚制に近づいているのでは」という声も出始めました。創業期の自由闊達な文化と、大規模組織の効率性との間で葛藤が生まれていたのです。



人が増えると、どうしても仕組みが必要になる。自由と管理、そのバランスが難しいんだ。
規模拡大がもたらすイノベーションへの影響
研究領域は拡大し、探索プロジェクトは30件以上に増加しましたが、偶発的な交流が減少し、リスクを避ける姿勢も目立つようになりました。創業時の「挑戦する文化」は次第に薄れ、イノベーションが停滞するリスクを抱えることになりました。



筋トレも一緒っすよ! 小さい時はガンガン追い込めるけど、大きくなると怪我を恐れてセーブしちゃう。会社も似てますね!
社外ステークホルダーの存在と影響力
投資家・規制当局・業界競合との関係性
2000年のIPOを皮切りに、アクテリオンは米欧の投資家に支えられる企業となりました。しかし投資家は短期的な成果を求め、研究開発に10年以上かかる製薬業界とのギャップが常に存在しました。規制当局による承認リスクや、ギリアドなど競合の新薬開発も緊張を高めました。



あ、あの……投資家さんって、すぐ“次の四半期の結果”ばかり気にするんですよね……。



安易に上場すると投資家ばかり目を向けることになりかねないな。
独立性と長期的ビジョンをめぐる緊張
2010年には買収の噂が絶えず、グラクソ・スミスクラインやアムジェンなどの名前が取り沙汰されました。CEOと取締役会は「独立を守ることこそ株主利益につながる」と発信しましたが、市場は懐疑的。短期利益を望む投資家と、長期ビジョンを優先する経営陣の間には緊張が続いていました。
経営者からのメッセージに込めるべきこと
授業ではさいごに、不安に揺れる状況の中で、年末のパーティでクローゼとなってスピーチのパーティーでどんなことを話すべきかについて議論されました。
社員の不安と期待にどう応えるか
2010年、社員がスピーチに求めていたのは「自分たちの未来への答え」でした。特許切れや開発停滞の不安の一方で、「次の成功を自分たちが担うかもしれない」という期待も抱いていました。経営者は数字で安心感を示しつつ、文化を守る強い意志を語る必要があったのです。
社外に向けた信頼と未来への約束
投資家や規制当局に対しては、短期的な成果よりも長期的な価値創造を繰り返し訴えることが重要でした。合理的な説明とともに「未来への約束」を発信することで、信頼を得ることが求められました。



数字だけでは心は動かない。けれど想いだけでも不安は消えない。両輪が必要なんです。
実際のパーティーのスピーチ内容(2010年)
構成は下記の通りで、ある意味無難で確実なものだったかと思います。
業績ハイライトの説明
2010年の純利益は前年に比べて25%増の CHF 390.6 million、売上高は同13%増の CHF 1,929 millionに達し、製品売上は12%増を記録。キャッシュおよび現金同等物は約 CHF 1.4 billionに達し、非常に健全な財務基盤。
社内の強みのアピール
・パイプラインの充実
当時、臨床開発中の薬剤は10品目で、近々15品目に増える見込み。また、年間で4~5品目の新たな候補が見つかっている。
・組織体制の強み
研究部門と事業部門を明確に分離し、研究者にはマーケティングをあえて課さず、研究の自由を維持する構造を強調。
長期ビジョンの共有
フランスのGenentechのような「欧州の革新的バイオ企業」になるという野望を語りつつ、「主要製品の成果を待つフェーズ」にあると説明。今後は、長期的に共に歩む株主を求める姿勢を示した。
アクテリオンのその後(2011年以降の展開)
- 2011年の業績と展望
- 2011年も製品売上はCHF 1.7 billionを超え成長は維持。ただし価格下落圧力や成熟した製品ポートフォリオにより、移行期に突入。次世代薬(マキセンタンなど)のフェーズⅢ試験の結果に注力し、MS薬(ポネシモド等)の開発にも着手。
- 買収圧力と独立性
- 2010年末からはアムジェンなどによる買収の可能性が報じられ、また株主のElliottが支援する議題提案もあり、独立性を守るか市場価値を優先するかの経営判断が問われる時期となりました
- 2017年に買収される
- 最終的にアクテリオンは独立を維持する形で進み続けたものの、2017年にはアメリカのジョンソン&ジョンソンによって約300億ドルで買収され、Idorsiaという研究部門が新たに設立(CEOはクローゼル夫妻)。
製薬の世界の厳しさ
アクテリオンの歩みは組織の変化もそうですが、製薬産業がいかに過酷な世界であるかを物語っています。
ひとつの新薬を市場に出すまでに10年以上の年月と莫大な投資が必要であり、その過程で失敗する確率は圧倒的に高い。それでもなお企業は研究をやめることができません。
なぜなら、特許切れのリスクへの対応だけでなく、そもそもの意義としてその先の患者の命を救う可能性があるからです。アクテリオンは創業から十数年で大きな成功を手にしましたが、その後は特許切れ、買収圧力、組織文化の変容といった試練に直面しました。
まさに「コインゲームのダブルベット」のように、勝ち筋の少ない賭けに挑み続けるしかないのが製薬の宿命です。
いやぁ、厳しい世界ですね。
それでも挑戦をやめなかったからこそ、アクテリオンは患者に新しい希望を届け、最終的にジョンソン&ジョンソンという大きな器に受け継がれていったわけですね。
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