こんにちは、Yatzです!
ある日突然、社内で贈賄事件が発覚し、複数の幹部が起訴。
しかも会社は検察と司法取引をして、自らは起訴を免れた――。
これは、三菱日立パワーシステムズ(MHPS)で実際に起こった出来事です。
この事件をきっかけに、「会社は社員の味方なのか?」という問いが、改めて浮かび上がりました。
本記事では、日本版司法取引の仕組みやその背景を整理したうえで、ABC社(仮)の経営判断の是非、そして企業における「信頼」の本質について考察していきます。
ケースの要約:司法取引の陰に隠された“信頼”の行方
ある製造業のグローバル企業、ABC社。
同社のアジア拠点で発覚したのは、外国公務員への贈賄行為でした。これは明確な法令違反であり、関係する複数の幹部が関与していたことが内部告発により明らかになります。
対応を迫られた本社は、日本で導入されたばかりの「司法取引制度」を活用。検察に協力する代わりに法人としての起訴を免れるという判断を下しました。
この結果、複数の社員が立件される一方で、会社自体は処罰を免れました。
表面的には「賢い経営判断」に見えるかもしれません。しかし、実際に処分された社員たちにとっては、「会社に全てを任せ、誠実に働いていたのに切り捨てられた」という思いが強く残りました。
- 社員は専門知識も乏しく、会社の指示に従う以外に選択肢はなかった
- 不正の全体像を把握していたのは、むしろ会社や経営層だったはず
- 両罰規定(組織と個人の両方に責任を問う制度)を回避することで、本当に信頼関係が保てるのか?
このような疑問は、単に法的な議論にとどまりません。
企業が社員との間に築くべき“信頼”とは何か?
そして、リスクを前にして「誰を守るか」という判断の倫理性はどうあるべきか?
このケースは、制度の使い方以上に、「企業の在り方」そのものを問いかける重要な示唆を与えてくれます。
司法取引の選択
司法取引とは、刑事手続きの中で、容疑者・被告人が情報提供や協力を行う代わりに、検察が起訴猶予や減刑などの利益を与える制度です。
日本ではあまり馴染みはないですが、「しゃべったら俺が消されちまうよ」なんてアメリカ映画などではよく見るやつです。
●アメリカにおける司法取引
アメリカでは刑事事件の90%以上が司法取引で解決され、特に企業犯罪においてはDeferred Prosecution Agreement(DPA)やNon-prosecution Agreement(NPA)など多様な取引方法があります。
企業は捜査協力を行うことで巨額の罰金を回避することもありますが、その代償として社員個人が“切り捨てられる”ケースも珍しくありません。
●日本の司法取引制度
日本では2018年に導入されたばかりで、企業犯罪を対象とした「捜査・公判協力型」が主流です。実際の第1号がMHPSのタイ贈賄事件であり、法人は起訴を免れる一方で、幹部個人が起訴・有罪判決を受けました。
これは本来「巨悪を暴く」ための制度が、逆に「個人を犠牲にし会社を守る構造」に転じた象徴的なケースとも言えます。
三菱日立パワーシステムズ(MHPS、現三菱パワー)のタイ贈賄事件
2013年から2015年頃にかけて、タイ国営企業との発電所建設プロジェクトに関連し、現地代理店を通じて政府関係者に不正な金銭提供を行ったとされるケースです。
MHPSは2018年、日本で導入された司法取引制度を企業として初めて活用し、検察に全面的に協力。法人としての起訴を免れました。一方で、関与した複数の元社員は書類送検や起訴の対象となりました。
大きな取引には大きな危険が隠れている
ABC社も、MHPSと同様に司法取引によって組織としての責任を回避したと仮定します。
一見「経営判断として正しい」と思えるかもしれません。実際、法人として起訴されれば、営業停止や社会的信頼の失墜によって甚大な損失を被る可能性があります。
しかし、ここで問われるのは倫理性です。
- 社員は会社を信じて守ろうとしたのに、会社は守ってくれなかった
- 組織としての監督責任を放棄し、個人に責任を押し付けた
- 本来、両罰規定とは「管理責任を促すため」に存在する
しかも、忘れてはならないのが、起訴された社員は会社のためにという思いから、結果として不正な金銭提供を行ったという点です。
司法取引がもたらす「起訴回避」は、目先の利益ではありますが、長期的には社員の士気・忠誠心を損ない、結果的に企業価値を下げるリスクがあります。
信頼の大切さ
企業経営において「信頼」は通貨以上の価値を持ちます。
信頼は、社外(顧客・投資家・規制当局)だけでなく、社内(社員)にも向けられるべきものです。
信頼があるからこそ、社員は自発的に働き、コンプライアンスも守られ、危機の際には団結が生まれます。
逆に、「責任をとらず逃げる上司」「社員を守らない会社」は、内部統制の崩壊を招き、不祥事の温床となります。
信頼に投資することは、不確実性を減らすリスクマネジメントであり、企業価値向上にもつながるのです。
さいごに
司法取引の活用が進むなかで、企業は「守るべきは誰か」という問いに向き合う必要があります。
社員を切り捨てて守った会社に、未来はあるのでしょうか?
信頼という“目に見えない資産”を損なう判断は、短期的なリスク回避にすぎません。
私たちが問うべきは、単なる法の抜け道ではなく、「倫理的な正しさとは何か」です。
経営においても、信頼を軸に据えた判断こそが、真に強い組織をつくる第一歩となるのではないでしょうか。
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